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RNRCミラー  

Dio H





 生まれて初めて飲んだウィスキーは最悪の一言だった。当時飲み方が良くわからなかったので、とりあえず「水割り」を頼んだのだが、口内に広がる無機質なくせに生臭い味だけはいまだに覚えている。あれはひょっとしたら都会の水道水でも入れていたせいで、都会のアスファルトやら水道管のサビやらが溶け込んでいたのかもしれない、そう思うことであの酒が悪かったわけじゃないんだと納得しようとしたこともあったけれど、今に至るまでウィスキーだけが全然ダメという事実からも、あの時のウィスキーのせいで、結局のところ軽くトラウマを抱いているんだなということをふと思う。
 だが、そんな不幸な蒸留酒でも、少なくとも生まれて初めて付き合った矢倉という男との思い出ほど『最悪』と言うわけではない。別れるまでの数週間が特に酷かったせいもあるのだろうか、とにかくヘビよりも粘着質でサソリよりも攻撃的な男だった。懐かしい思い出だとか、若気の至りだとかいう陳腐な言い訳をするつもりは毛頭ない、私は「今でも矢倉が大嫌い」だと断言できる。出来ることならもう二度と顔も合わせたくない相手だったのだ。

「たまにはゆっくり付き合え」と彼に連れて行かれたバーに、矢倉がいた。しかも酔っ払い客を相手に鈍い光を放つシェイカーを振っている。きざな蝶ネクタイが視界に飛び込んだ瞬間、反射的に私は「今日はやめよう」と彼につい言ってしまった。見る見るうちに不機嫌な顔を示す彼に『しまった』と思うが遅かった。乱暴に右手を引かれ、カウンター席に座らされる。否応なしにバーテンダーと顔を合わせることになる、最悪だ。矢倉が私のことに気づかないなんていう茶番になるわけがない、目を合わせた瞬間、爬虫類のような眼光が私を捕らえた。矢倉の顔からタバコのヤニですすけた歯がちらりと覗く。身体が石になるとはこのことだろうか、間違いなく矢倉に「認識」されてしまった。
「今日はお連れさんと一緒ですか?」と白々しい挨拶をする矢倉に、大して酒も入っていないのに一気に胸が悪くなった。これが本当の悪酔いだ。
「彼女です」とさっと機嫌を直した彼が言う。常連客らしい会話が私をぐさぐさと突き刺す。決して仲間に入れない寂しさだとか、妙なやきもちだとかではない、そのことは十分わかっているのに、この置いてけぼり感は何だというのだろう。胸悪さと落ち着かなさに侵食されているところへ、彼が言う。「はやくお前も何か頼め」と。まごまごして矢倉に動揺を悟られたくなかった私は、手短にカクテルの項目に目を通し、目に付いたなんだか格好よさそうな名前のついたカクテルを注文した。
 矢倉が「わかりました」とナメクジの這うような声を発した瞬間気がついた。あろうことかウィスキーベースのカクテルを頼んでしまったのだ。矢倉がにやりといやらしい笑みを浮かべたのは多分気のせいじゃない。

 酒場の華やぎが落ち着きを見せていた。となりでウィスキー愛好家の彼が嬉々としている。どうやら私が「少しはウィスキーの味がわかるようになった」と思い込んでいるらしい。それに加えて、今飲んでいるダブルのウィスキーがとても美味しいということもあるのだろう。私とは正反対の味の趣向を持っているらしく、普段なら「このウィスキーバカ」とでも罵ってやれるはずだ。だが、今の私は最悪にドのつくほど落ち込んでいたためそんなサディスティックな気分になれない。ウィスキーのせいで感覚という感覚すべてが麻痺しているからだ。舌からのどにかけての異物感はいよいよ激しさを増しているが、そればかりか矢倉からのなめるような視線が皮膚から体温を奪っていたのだ。私の悲惨な状況に彼はまったく気がついていない、「この鈍感男」と心の中で罵ってやる気力さえもない。
 意地と忍耐で、なんとか一杯目のカクテルを飲み干した。あとは適当に水だとかジュースだとかでも飲んで誤魔化していれば良いだろう。そう思った瞬間、彼の無神経さが炸裂した。
「これも飲んでみろよ」差し出されたウィスキーから生臭い匂いが立ち上り、全身から血の気が引いた。『もう飲めない』と可愛らしく断ってやることも考えたが、出来なかった。矢倉にオレンジジュースを注文する様と先ほどの彼の不機嫌な顔とが同時に頭に思い浮かんだからだ。グラスを引っつかんで睨みつけてやった。
 胃の中を駆け巡る無粋な粘り気を我慢しながら、すすめられたウィスキーに二度三度と口をつける。やっぱりダメだ、美味しいとは思わない。自分でも顔がゆがんでいくのがわかる。そして私の顔のゆがみは、確実に彼に伝染している。これはもうダメだと、グラスを彼のほうへ押しやった、入れ替わりに「つまんねえ」と彼が言う。どうしてなのだろうか、跳ね返る気持ちよりも悪いと思う気持ちが強かった。彼の好みはわかるのに、それに同意してやれない無粋さがたまらなかった。場は確実に白けている。ここで私が口直しに何か軽いものを頼めば、彼はますます不機嫌になるだろう、予感でも推測でもなく、それは論理的演算の結果だった。かといって私が何もせずに黙り込んでいるのも最良の手段とは思えない。次に何をすべきなのか、胸元の異物感がひどく圧迫する中で、そんなことばかりを考える。あと二、三秒で彼の機嫌が徹底的に悪くなるだろうか、そんな風に思った瞬間、目の前に朱色の液体がするりと出された。私がカクテルの中でも一番好きなもの、レッドアイ。

「こういうお酒はどうですか?」とにべもなく矢倉は言った。緊張という建物ががらがらと音を立てて崩れた、情けないことに裏返った声で「ありがとう」と答えるしかなかった。これは矢倉の機転なのだろうか、それとも「嫌がらせ」なんだろうか、きょとんとした顔で矢倉を見る彼に、不機嫌さなど微塵も残っていないようだった。
 悔しくも、矢倉からすすめられたレッドアイで落ち着きを取り戻している自分。大味の中に隠れる苦味に、かつて矢倉と二人で飲んだ酒の味が思い出された。私の全てが彼の手のひらで動かされている、ギシギシと関節が悲鳴を上げているのがたまらなく悲しかった。悔しいけれど、ここは矢倉に感謝の念を抱くところなんだろう。矢倉が他の客の相手をするためこの場を離れようとした。ほとんど反射的に「ありがとうございます」と口から出ていた。
だが、去り際に矢倉の口からそっと「お前、このカクテル好きだったもんな」と囁かれたのを聞いたとき、忘れていた全身の気持ち悪さが再び私に襲い掛かってきた。矢倉の後姿から、高慢でいやらしい微笑みがいとも簡単に想像できた。

 私と彼の間にしばらくの沈黙が続いた。彼はとなりで完全に動きを停止させて、何かを考え込んでいた。矢倉の去り際の一言で、事態を完全に把握したかどうかはわからない。だがその重要な断片ぐらいは、間違いなく察しているだろう。
「まだお前の酒の好みがわからない、どうしてもわからない」とひねり出すように彼は言った。
体が冷えきるというのはこういうことなのだろうか。「わからない」と彼から言われて、体中の熱情という熱情全てがばらばらに霧散していったような気がしていた。たかだか昔の男に酒の趣味を覚えられていただけだという事実が、どうしようもないぐらいに私たちをばらばらにしてしまったのだ。
ああ、私と彼は今終わったのだと思った。この先惰性で彼との付き合いは進行していくだろう、時には衝動的な胸苦しさに流されて淡い錯覚を抱くのかもしれない。だがそんな一時の迷いにこの先頼っていこうと思うほど、私はもう子供ではないのだと思った。同時に私は矢倉の呪縛から逃れられないことを知った。絶望的なまでに思い知らされた。
 世界で一番大嫌いな相手に理解されているという不条理さは、妙に私を落ち着かせていた。同時に初めて飲んだウィスキーを美味しく飲むことが出来ていたら、今頃は無知な幸せをかみしめられていたのかもしれないと、らしくもない感傷的な思いが私を支配していた。

 

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