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RNRCミラー  

谷間の百合






TITLE:
時とするとびっくりさせるような向日葵があったり 


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昔恋人であった女の子の一人が先日骨肉種で夭逝し、その短い生涯に幕を閉じた。

これといって綺麗な女の子であったとか特別な思い出があったとか、そういうわけでもなく、はたして本当に恋人であったのかすら怪しいところなのだけれども、何故か色々と思い出してしまう。美化された思い出、素敵な思い出、確かにそういった部分が俺の心の多くの部分を占めているに違いないとは思うのだが、だからどうだという感慨もない。美化された部分はそれとして扱い、自らの中で新しいものへと昇華してゆくのが既に過去に消えていった【思い出】たちへの礼儀であると考えているからだ。


最後に会ってから数年が経っていた去年の冬、偶然映画館で出会ったことを俺は思い出す。三軒茶屋のミニシアターにデビットリンチのマルホランドドライブという面白くもなんともない映画を観に行った時のこと、最終上映回ということで夜も更けており、予想の如く、というか客は殆どおらず、数人ほどの頭がまばらに見えるだけであった。

スタッフロールが流れ映画も鑑賞終了ということでパンフレットを買いに外へ出ると、偶然彼女に出会った。お互い気まずい別れ方をしていたことから、久方ぶりの偶然の出会いも落ち着かない感じになるであろうと思っていたのだが、我々はごく自然に挨拶を交わし、まるで定期的に連絡を取っているような友人の如く必然的にカフェへ入った。そして珈琲を飲みながら煙草をふかし、至って普通に先ほど観たマルホランドドライブについて話した。

マルホランドドライブというのはアメリカのロサンゼルスに実際に存在する細い道路で、市街地も奥まった閑静な住宅街の中にひっそりと佇んでいる。題名を名前にしていることからその道が重要な因子と為り得るかと言えば、実際は単にその場所から物語が始まるというだけのことなのだが、彼女はやけにその名前を気に入っており、いつかその場所にいきたいと言っていたのをよく覚えている。

パーラメントのロングを口に咥え先端を歯で噛みながら、「私はマルホランドドライブまでの曲がりくねった山道を車で登って、夜中一人でロサンゼルスの壮大な夜景を見渡すんだ、そしてちょっと小声で呟いたりするの、ロサンゼルスの夜景が君に手を振ってるよ、ってね、別に誰ともになくね、呟いたりするんだ」と彼女はなんだか寂しそうな笑顔でそう言い、それから珈琲を一息に飲み干し千円札を置いて出て行った。止める隙も理由もなく、あとに残された俺は、珈琲のおかわりを注文し、窓から三軒茶屋の夜景を眺めていた。

それっきり彼女とは会っていない。


そんなことを思い出したりして、たまには映画の中で流れていたコニースティーブンスのレコードをでも聴いてみようかとセットするのだが、スピーカから聞こえてくる美しい歌声が耳に入り込むたびに涙が私の頬を伝ってゆく。過去の喜びだとか、現在の哀しみだとか、そういった物の概念が思念として頭の中で処理できないのだろうか、と考えてみたりするのだが、永遠に理解できない【生】や【死】というものたちへと思いは募るばかりなのである。さよならだけが人生である、と。


こうやって我々は少しづつ人と別れを告げてはまた新しい人と出会い、いつか自分にさよならする時まで、少しづつ少しづつ死に慣れていくのだな、と思った。自分の死を受け止めなくてはいけないという事実を知ることで、彼女の死も俺の中で生きてゆくのである。


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真っ青な空から涼しげな太陽が覗いている。そんな冬のひととき。彼女に初めて出会ったのはそんな四年前の冬のことだ。


前の彼女と別れたのがその一ヶ月ほど前、手持ち無沙汰な時期が続き、そろそろ欲求が溜まってきたことであるし久方ぶりに女性の裸でも拝みましょうか、とコンビニの成人向け雑誌コーナに立ち寄り、何とはなしに手に取った冊子のヌードグラビア特集のページを開く。これはまた素晴らしいプロポーションであると、胸とヴァギナと、何より遠く奥底まで透き通らんばかりに虹彩を放つ瞳に眼を奪われていると、中々良い身体してると思うんだけどな、と可愛らしい笑顔で雑誌を覗き込んできたのが彼女、胸を突き出し俺に笑いかけてくれている【朋ちゃん】という雑誌の中の少女と、現実に目の前でにこにことしている女の子が余りに似ているので、大抵のことでは驚かないと高を括っていた流石の俺も目はまんまる口はあんぐり。まるで絵に描いたような驚きを表現していると、少しお茶でも飲まない、と彼女が俺に問いかけてきた。

その後の事はよく覚えていないのだが、唾を飲み込み目は見開いたまま、なんとか彼女に肯定の合図を送りいそいそと彼女の方へと歩いてゆき、店の外に出ようとしたところで店員に捕まえられ、お客様お客様困ります困ります、俺は違いますよ俺は、お客様お客様、俺は俺は、というような問答を店先でループさせつつ彼女のくびれ際立つ後ろ姿を見送ったのはかろうじて記憶の片隅にある。その後のことは近くにいた人から詳しく聞いたのだが、どうやら俺は結局店の中に連行されたらしく、店長らしき酷くエラと肩の張った大柄な男にささやかなアッパーを顎にもらい、何故かバイト風情にハンカチ片手に涙を流して親不幸者となじられ、追い討ちをかけるように警察に連れて行かれたらしい。正直その辺りは曖昧である。ただ、次の日自分の部屋で目を醒ますと、顔が膨れ上がっていたのは確かだった。

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その次に彼女に会ったのはそれから三日後、突然教授が病気になったとかで午後の授業が休講になり、ならば渋谷で新譜でも買いましょうとHMVの中をうろうろしていると、VELVET UNDERGROUNDのCDを手にとって眺めている彼女を発見した。彼女の少し赤みがかった長い髪が揺れる肩口から覗き込む。冬の乾いた空気に似合わない柑橘系の薫りが鼻をくすぐった。

「VELVET UNDERGROUND好きなんだ?」俺の問いかけに対して彼女はゆっくりと振り返り、じっと俺の方を見た。写真で見る時とは少しばかり違う印象を受ける瞳、或る種表現の難しい違いなのだが、透明度の問題であると思った。「わりと好きかも」突然口を開く。そしてそれから少し考え込んだようなポーズをして「君は好き?」と言った。「多少ね。アンディウォーホルがプロデュースというのは戴けないけど、ジョンケイルの現代音楽への前衛性は素晴らしいものがあると思う」「へぇ、詳しいんだ」CDをラックに戻して彼女は俺に向き直る。「まぁ、それなりに。Improvisationというジャズの系統音楽をロックという枠に嵌め込み、その上でパンクノイズを打ち出したというのは一つの功績と言えるよ。時代の枠組みを超えて評価できる」ふーん、と彼女はCDを眺めながら何でもなさそうに言った。「色々とありがとうね、でも私この人の曲聴いたことないの。ただちょっと名前に惹かれただけ」

少しお茶でも飲まない、という先週彼女が尋ねた言葉の正当性をアピールするかのように我々は道玄坂を少し上がってゆきセガフレードカフェに入った。二つのアイスティと二つのパニーニを注文し、カフェの奥の席へと腰掛ける。椅子に座ると同時に俺が煙草をポケットから取り出すと、パーラメントのロングを吸っている人って結構好き、なんだかマフィアの人みたいだから…、と呟いてハーレイダビッドソンの刻印の入ったジッポを指で弾く要領で蓋を開け、火を灯してくれた。俺はゆとりをもって紫煙を燻らせる。

「君はああいった仕事をいつもしているの?」俺は尋ねる。「ああいった仕事ってなんだろう」あどけない笑顔。「それはつまり、まぁ、なんというかね」「えっちな仕事?」「まぁ、そういった関係の仕事」「君もあれ、えっちなのはいけないと思います、とか考えてるのかな」少し俺はたじろぐ。こういった事を議論したことは幾度かあるのだが、いつも答えは見つからない。或る程度の教養を身につけている場合、殆どの人は自らの身体を売るような仕事にはNGを出すであろう。しかしながら、需要がある場合供給を満たすシステムが存在するのは確かであるし、貧窮している場合のその行動について誰が文句を言えるのだろうか。以前ある女性に、そういったバイトはやめた方が良いよ、と嗜めたのだが、じゃぁあんたが私を養ってくれるとでも言うの、と逆に返され、俺は何も言えなかった。

沈黙が少しの間流れる。紫煙が宙を漂う。

「別に気にしなくてもいいよ」停滞していた空気を淀みから掬い上げるように彼女は続けた。「特にあなたがどう思うかについて気にしているわけではないんだ、ただ私は自分のプロポーションに自信を持っていて、そして―あなたが言うところの―ああいったことが好きなだけ」珈琲を不味そうに一口のどに押し込んでから、そう、ただそれだけ、と呟いた。

「そっか、何か言い忘れてたことがあると思ったんだ」突然俺がそう言うと、彼女は不思議そうな顔で俺を見てきた。「会った時から言おうと思ってたんだけど、何となく言いそびれてね。ほら、警察に連れて行かれたりとかしたしね」「ぷっ、あの後警察に連れて行かれたんだ」「笑うことはないだろう、何せ殆ど君のせいみたいなものなんだから」朗らかな笑い声に俺も思わず苦笑する。「そんなこと言ったって私は関係ないじゃない、君が勝手に万引きして店を出たんでしょう?まぁ、ちょっとばかり悪いことしたかなぁ、なんて思ってはみたんだけど」「ホントかな?」「ホントよ、言っちゃ悪いけどあなたの悲惨そうな顔を見てたら同情したくもなるよ。と言っても三秒ほどだけどね」笑い声を堪えきれない様子で一目も気にせず声を張り上げて笑い出す。店内にひとしきり笑い声がこだまする。奥の席に座っていた男の一人が咳払いをする、ゴホン、聞きなれた咳払い。「んんっ…、失礼」彼女も小さく咳払い。「で、言いたかったことって何?」目を細めて俺に聞く。じっと彼女の虹彩を放つ瞳を見つめる、黄色がかった硝子玉を見つめる、それは、


「君の裸が綺麗だ、ってこと」


目を丸くして止まる彼女。少しだけ、ほんの少しだけ、或る種の言霊のようなものがその場を支配する。「ところで名前は?」俺が出し抜けに言う。「まさか朋ちゃんが本名ってわけじゃないよね」更に唖然とした表情で目を二三度瞬きさせた後、ゼンマイ仕掛けのブリキ人形がカタカタと動き出すように彼女は答えた。「本名ではない、と言えばそうかもしれない。でも本名なんて大した意味はないと思うけど。所詮は或る種の記号でしかないわけだし。もし何かしらの付加価値を与えるとしてもそれは呼称することに対する容易さというか、誰かと話をする場合に他人を指摘するのに必要なファクタというだけではないかな」アイスティを口元へ運びながら「だから別に私が吉田やら田中やら鈴木やら何やらであっても、特に朋ちゃんであることに異議は唱えるつもりはないよ。君も好きに呼ぶのがいいと思う」それに初めて認識した名前の方が呼びやすいだろうしね、と静かに付け加えた。それなら朋ちゃん取り敢えずこの名前で呼称させてもらうよ、と俺もゆっくりと言った。


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次に会ったのはベッドの中だった。

真冬の凍るような明け方、窓から照らす暁光に目を醒ますと彼女が横で寝ていた。渋谷のカフェからそのまま銀座線で浅草にある俺の家に行き、帰り着くなりベッドに雪崩れ込み、遠い世界に置いてきた何かを吐き出すように、単調であるが、それでも尚激しいセックスを繰り返した。まるで隔たり一つ我々の間には入ることを許さないとでも言うかの様にコンドームもつけず、ひたすら行為に励む。隙間を埋めるようにただ彼女の中に入り込む。彼女はただ小さな喘ぎ声を漏らし、俺は汗を流す。ゆっくりとした時間の中で、滴り落ちる汗の粒がぽたりぽたりと雫となって彼女の肌に落ちる雫の中で乱反射する小さな光たちが俺のさらに小さな部屋を月明かりの中照らし出す。大まかなことは何も覚えていないのだが、こうした細々できれぎれとした瞬間瞬間だけが俺の脳裏に強く焼きついていた。

それから毎日のように我々はセックスをした。

そんなある日の行為の最中、それまでセックスの途中に言葉を発することが無かった彼女が、荒い息で俺の耳元に囁きかけた。枕元に置いておいたキャンドルライトに浮かび上がった彼女は幻想的な雰囲気を纏っていた。

ねぇ、光って、希望の光とか、光明を見出すとかさぁ、あぁっ、何か神秘的なものとして扱われることが多いと思うの、今私たちはこんな小さな蝋燭の光に照らされているわけだけど、それも何かしら神秘的な要素を含んでいるのかしら、或いは希望とかね、でも思うんだよね、光は全ての色を含んで未分化、すなわち私たちが可視しているものを総じて含有しているということだよね、例えばあなたでもいいし、私自身でもいい、もし望むのなら希望とか絶望とか、そういうものでもいいと思う、だから考えてしまうよね、希望の光って何、って、つまり光の中にある一つの要素なのか、希望という一つの単体として存在する要素から出でる救いなのか、そういうことって考えてしまうよね。

途切れ途切れに聞こえる彼女の囁きを振り切り、俺は果てた。荒い息遣いでベッドに倒れ込み、煙草に手をやる。すかさず彼女がジッポで火を灯す。一瞬だけ暗がりがレンブラントの絵のように淡い光を帯びる。煙を肺の中に大きく注ぎ込み、ゆっくりと息を吐く、この瞬間が一番落ち着く。

このジッポあげる、記念にね、と彼女が言った。いいの、と俺も返す。いいの、多分このジッポは君が持ってた方がいい気がするから、だからあげる、俺にその重いハーレイの刻印の入ったジッポを手渡し、ねぇねぇ、上げるんだから最後に火くらいつけてよ、とはにかんで言った。俺は彼女の口に一本パーラメントを咥えさせ、火を灯した、フリントの擦れる音、シュボッ。彼女の口元に美しく咲いた向日葵がまた刹那彼女を照らし出したのだが、その顔には何故か捉えようのない、或る種絶望とでも呼べるような代物が浮かんでいた。

多分ね、希望って簡単だよ、誰にでも媚びて、全てを与えてくれて、それで宝物を失った時君を捨てる、つまり私みたいな遊女だよ。はっ、と彼女は煙草を吸いながら鼻で笑い、小さく項垂れた。


そしてこの日が彼女とセックスをした最後の日であった。


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水曜の朝午前三時、彼女を駅まで送るため家から出てくると俺の意識が一瞬飛んだ。気付くと地べたに這いつくばっていた。どうやら頭を鈍器のような物で殴られたらしい。頭が割れるように痛い。否、実際割れているようで、後頭部をさすると真っ赤などろどろとした液体が手に大量にこびり付いた。

「君、良い度胸してるね、俺の女に手を出すなんて」街灯のライトアップが逆光となって顔は黒ずんでいるが、スーツ姿らしき男の影が俺に言った。俺はやっとのことで呻き声を漏らした。「おい、優子、ちょっとこっちへ来いよ」男が彼女へ叫んだ。彼女が男の方へと向かってゆく。

「おい、君」男が俺の顔をエナメル革のブーツで踏みつける。だが痛みはあまり感じない。「君は手を出してはいけない女に手をだした、判るな?だから君を痛めつけなくてはいけない、二度とそんなことする気にならないようにね。これも判るかな?」こめかみをブーツで更に抉られる。大して感じなかった痛みが鈍く頭に滲んでいく。いつの間にか俺は、よく判らない言語で叫び声を上げていた。あぅあぅぁgないrんがいうrg。メリッ、という音がして鼻が歪み、口元から歯が零れ落ちる。そしてその歯が頬に突き刺さり、柔らかい肉の塊がアスファルトに散らばる。男は笑っている。

最後の気力を振り絞り、やっとの思いで彼女の方を見上げると、寂しげな表情で俺のことを見下ろし、だが確実に笑みを浮かべていた。そしてそれを最後にやけに鋭い痛みが腹を襲い、意識が飛んだ。気付けば俺は真っ白な壁に覆われた病院の一角にいた。


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それから数日、俺はやっとのことで退院し、自分のベッドの中でひっそりと小さく呼吸をしながら沈んでいた。自分の頭にあてられた包帯に手を翳したり、カーテン越しに太陽を見つめたり、ただそんなことをして幾日かを過ごしていた。

身体も芯まで弱りきっていた。飯も殆ど喰わず、貯蔵していたスナック類やらチョコレイトやらをただ貪り、喉が渇けば水道水を胃に押し込める、寝て起きて喰って小便を垂らし時折便所へ駆け込み吐瀉する、そしてジッと天井を見上げる、そのサイクル。何もかもにやる気を失くし、考える気力すらなかった。

恐らく、何かしらやるべきことはあったはずである。例えば彼女とコンタクトを取ったり、或いは彼女が示唆していただろう言葉から打開策を模索してみたり、それらのことを除いたとしても俺はただベッドに寝ているだけという愚かな選択をするべきではなかった。行動をしない、ということは、何かしら思いを増長させる働きがあるのは理解していたし、それが憎しみへと変わることも言わずもがなであったからだ。次第に男への嫉妬と憎しみは矛先を変え、彼女の方へと向かう。


そうして一週間ほどが過ぎた頃、俺は彼女に電話した。


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「はい」スリーコールで彼女が応答する。ややくぐもった声。「やぁ、久しぶりだね」「うん、久しぶり」「今は大丈夫?」「うん、今は家だから大丈夫」「そっか、それはよかった。最近はどうかな?」「特に変わったことはないよ、ただちょっとだけ風邪気味かも、ほんの少しだけだけど」「それはお大事にね。冬だから体調管理には気をつけないと。いつ身体を壊すかは誰にも判らない」「そうだね」沈黙。俺の部屋、そして彼女の部屋の中、重苦しい空気が流れる、大体一分程。もっと短かったのかもしれないが、下手をするともっと長く感じていた。電話で沈黙する一分は、実際に会話をしている一分の数倍長い。

「そういえば名前、優子って言うんだね」「或いはね」彼女は堰をして一呼吸置いてから「別に名前に意味なんてない、って前言わなかったかな。ただ呼びやすい呼称で呼べばいい、私はあなたが呼ぶ記号になるだけなんだからさ、ほんと。大した意味なんてないんだよ」と言った。俺は唾を飲み込む。「確かに意味はないかもしれない、それが真実の名であることなんて君にしか判らないし、或いは君でさえも判らないかもしれない。だから意味なんてないのは判ってはいるんだけどね。ただし、判っていても頭で整理出来ないことはたくさんある」「それは一理あるかもしれない」彼女は小さく答えた。

「それで理解は出来ているけど整理はできていないもう一つの事柄についても聞いておいていいかな」「えぇ、満足のいく説明が出来るどうかは判らないけど、取り敢えずあなたに質問する権利はあると思う」「じゃぁ本道を逸れた話は面倒だし、率直に聞く、あの男は誰で、どういう関係であり、そして何故俺は殴られ、ああいった状況になったのか。聞きたいのはそれだけ」彼女は口ごもる。「結構率直に言ったけど、まだ言葉が多いかな?」

それから彼女が語ってくれたことは、正直信じられないほど聞くに堪えないものであった。あの男は元々彼女の恋人であったが、ヤクザの仕事をしだしてから彼女を奴隷として監禁し、肉体的暴行を加え続けている、彼女はそう言った。毎日のように惨めに犯され、風俗やアダルトビデオへと出演を強要されているという。にわかに信じられる話ではないのだが、あの風貌や態度を考えると確かにそういう可能性はあった。軽く殺意を覚えた。

その後も淡々と彼女が受けてきた苦痛を聴きつつ、俺は復習の方法を考えていた。如何にしてヤクザどもをぶっ潰すか、如何にして喧嘩の弱い俺が奴らに勝つか、そのようなことばかりを考えていた。そして最終目的は勿論彼女を童話のお姫様よろしく救出すること、おれはその偶像的な自らのナルシズムへと陶酔していた。その為か、彼女の話の中に見受けられたはずの、多くの欠落していた部分には全く気付かなかった。

そして電話もいつしか役目を終え、受話器を静かに置き、また遥かな妄想の世界へと旅立ち、恐らく電話をしてから数十分が過ぎた頃…、スーツの男たちが大挙を為してやって来た。大将格らしき男の隣には彼女が控えていた。それだけを見て記憶は頭の片隅から吹き零れた。


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それから二週間が過ぎた。

ぱらぱらと降ってきた雨がやがてつぶらな雪に変わって、それがまた遠い空の上で大きなガラスを割ったみたいに綺麗な結晶を象り、たまに煙草の火種に落ちてきては、ジュ、と短い蒸発音を上げた、クリスマスの翌日、午前六時。

一週間かかって調べたスーツの男どものアジトは渋谷の道玄坂にあるビルの四階という、全く以って平凡な場所にあった。一通りの武器と防具を身につけ一人でその扉の前に今はいる。二週間前に負った傷はまだ癒えてはいないのだが、復習というのをやるなら早ければ早い方がいい。人間の記憶というのは非常に不確かなもので、どのようなものでも【良き思い出】として保存しようとするのである。だから早いほうが良いのである。

深呼吸。深呼吸は良い、頭の中を空にしてくれる、肺いっぱいに新しい酸素を供給することで血の動きを緩やかにさせる。これで準備は完了だ。俺はドアをノックする、スーツの男の一人が―恐らく下っ端であろう人間―が扉を開ける、そして、

ポケットからハーレイダビッドソンの刻印のジッポを取り出し、指を弾く要領で蓋を開け、火を点ける。その熱が口に咥えた煙草に吸収され、先端が真っ赤になり、脳につながる毛細血管が縮み、キュッ、全身が冷えていくような感覚、ニコチンによる沈静作用、その効果が期待できたと悟るその瞬間、口から真っ白な煙を吐き出す、フー。その時間、僅かに5秒、相手の反応時間、6秒、僕の行動から遅れること一秒、やっとスーツの男たちも反応する、俺の勝ちだ。
 

「貴様ぁっ、何をやt


刹那、蹴りをストマック辺りに叩き込む、ぐぇ、部下Aが地面に倒れこむ、そしてそのまま中央奥へと風を切り、総大将らしきスーツの男に向かって特殊警棒を殴りつける、特殊警棒が直撃した後頭部周辺からべっとりとした血が噴き出す、総大将を倒せばこちらのもの、まだ状況を把握できない部下Bのテンプルに体重を乗せた拳を叩き込み卒倒させると口をパクパクさせている部下Bの顎に素早くささやかなアッパーを喰らわせ、何かしら喚いていた部下Dの脳天に鉄板の入った皮製鞄を振り下ろした。そこで周囲を見渡すと、隅の方で怯えている彼女を発見したが、一瞥しただけで何もしなかった。

俺は地面に這いつくばっているスーツの男の首元に俺はナイフを突きつける、スミスアンドウェッソンの小型ナイフ、小さいが切れ味は悪くない、この状況で俺が少し力を加えれば確実に頚動脈を切断できるくらいの鋭利さは持ち備えている。

「一つ聞いておく、二週間ほど前に俺の家に大挙してやって来た時、貴様らは何故来た、彼女の命令か、それとも自らの意思か、どちらだ」男はしきり、あぁうぅ、と呻き声を上げている。オーケー判ったよダーリン、俺はナイフを頚動脈にめり込ませる。皮膚が裂け血が少しばかり溢れ出す。「あと十秒ほどやろう、それまでに答えないと頚動脈から血が吹き零れることになる。それでもいいなら黙ってろ、厭なら答えろ、残り十秒」ひぃぃっ、男は情けない声を上げた。「早く答えろっ!」「わ、判った、答える答えるからやめてくれ」「早く言え」「それは…■■■■■■■■■■■」


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事が終わると俺は肺にタールとニコチンを大きく入れて紫煙を燻らせた。げほっゲホッ、スーツの男が先ほど食した胃の中のランチを吐瀉する音だけが虚しく乱反射して、俺を除いた人々―例えばスーツの男たちや彼女、そして単なる通行人まで―、それらが一体化していくイメージ、空間が歪んでいく、俺が三人称になってゆき、煙が混ざり合い、煙と混ざり合う。誰もが呆気に取られている。俺は彼女の方へと向く。

「いったいなんでこうなったんだろう」窓からまだ明けていない空を見上げる。「判らないけど、多分運命だと思う。多分こうなる運命だったし、私はどう転んでも駄目な人間だったんだと思う。所詮私は希望みたいなものだから、媚びて与えて奪う、凄く単純な蝙蝠人間」「…或いはね」俺はパーラメントに火を灯し続けた。「ただ思うよ、お互い一ヶ月ほどであったけど人生の幾らか、喩えそれが1パーセントほどであったとしても、我々は無駄にしたのかもしれない。その間に皇太子に子供が出来たかと思えば、エリオットスミスは死んだ。テロが起きたかと思えば、戦争も起きた。世界で何かが起き、互いにバランスを取り合っているとき、我々はそのサイクルからは遠いところで無駄なことをしていたように思えるよ。双方同士が事実として向き合わない限り、それは無駄なことなのさ」ここで一息置く。「…でも、それなりに楽しかったとは思う」少しの間見つめ合って、なんだか判らない何かを感じ合って、それでもってじゃっ、と俺は後ろを向いた。

涙が一筋。

俺は繁華街の方へと歩いて行く。


「大丈夫だよ【朋ちゃん】、君は糞みたいなもんだけど、俺は正真正銘の糞だ」


そう呟きこの場所を後にした。その間も、スーツたちに後ろ姿を見せながら、俺の目の中ではひとしきり水の雫が滞りなく動き回っていた。特にこれといって悲しいことなどなかったのだが、それでも涙腺が締まることはなかった。

駅へと辿り着き、銀座線ホームへの階段を上る途中、近頃はこんな階段を上ることすら憂鬱に感じるようになってきたな、と思った。俺はなんとなく後ろから甲高い声で、おはよ、という声が至って普通に追いかけてきたらいいな、とも思った。へローマイハニー!今日も随分調子いいじゃない!そうやって俺も挨拶を返す、そうした普通のコミュニケーションを交わす、そんな意味のない憧憬を抱いていた。

顔はどう高く見積もっても見せられたものではなかったし、声だって酷いものだ。さっきのタールも肺の中で粘ついていて、気持ち悪い、とは言わないまでも、好んで呼吸したいとは思えなかった。すなわち誰とも顔合わせられる状況ではない、そういうこと。だが
その心境とは裏腹に俺は彼女と何故か今という時間を過ごしたい、そう思った。そんなものなのだ。いつでも我々は動きのない世界で必死に自分の身体を動かし、そして出来もしないことを淡々と願うのだ。これまでだってそうだったし、これからもそうだろう。不条理、それだけが世の中を―或いは我々の中だけを―回っているのだ。


そうだろう?


□□□→■■■


実を言うと先週のことだ、彼女から僕宛てに手紙が届いた。

【マルホランドドライブに行ってきました】と書かれた絵葉書には、マルホランドドライブという標識を背に写っている彼女の写真が貼られていた。

俺は想像する、マルホランドドライブまでの緩やかな傾斜を、小さなフォードのレンタカーで上って行き、オレンジ色に輝く夜景を背に、【ロサンゼルスの夜景が君に手を振っているよ】と一人呟く彼女の姿を。それはそれで似合っていると思うし、滑稽ではあったが、それでいて尚シニカルでもあった。

正直あの時の状況やら気持ちやらがどんなものであったかはよく覚えていない。本当に彼女を好きだったのかとか、どれが真実で、どれが彼女の妄想だったのか、今となっては確かめようのないことを色々と考え込んだりしてしまう。

実際短い期間のよくある恋愛問題と言ってしまえばそれまでであるし、それこそが実際のことで、単にそこに付加物として暴力的な何かが介在していただけなのだろうけれども、それだけでは終わらせたくない何かがあったと思う。だが、それも人間の脳味噌が勝手に改竄した結果生まれた【美しい思い出】なのだろうか…。そんなことを道玄坂を下りながら考えていた。



渋谷駅前に颯爽と存在するスクランブル交差点の信号が赤に変わり人々が歩みを止める、通り過ぎていく車のテールランプが薄い光影を残して遠くへ消える、幾つかのディスプレイが少女の唇を大きく映し出し、幾つかの騒音たちが店先から人々を誘導する、再び群集の足が一定のベクトルを以って動き出す…、そういった光景が幾度か繰り返されては無表情の肉の塊が街を闊歩、俺もその中のほんの一つとして何食わぬ顔で往来の一部と成り下がり、ある客観的な視点から見た場合の一つの群体となる、そうやって時はいつしか過ぎ去ってゆく。

ハーレイダビッドソンのジッポに向日葵を灯して未分化、俺は少しばかり過去への旅に出る。


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