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RNRCミラー  

さくらミント(→ラッキーカラーは緑色)






20と3年の人生を生きてきて、そろそろ色々な分野に対して見切りのピリオドを打ちつつある私:腰痛だが、一つだけ他人に譲れない物がある。カップやきそばである。遡る事8年前の高校入学当時、出来たての友人関係において何とか優位に立ちたかった私は大食いのアピールを考えた。大食い=なんか凄い=クラスの人気者、というサルが毛繕いのついでに作った様な直線的な方程式がそこにはあった。どう考えても行き着く先は色物キャラ以外思い浮かばないが、当時はそこから広がるであろう明るい未来を信じて疑わなかった。そこで昼食時、ペヤングカップやきそば超大盛りと言う飽食時代の極みを具現化した食品を購入し、大食いという盛大なるアピールを皆に行った後、授業中にトイレで吐いた。目を真っ赤に腫らして教室に戻る私に向けられたデスノート級の微笑みに、私は大食いキャラと人気者を諦めた。取り合えず一つ目のピリオドである。が、この時のカップやきそばの味がどういう訳か、本当にどういう訳か忘れられず以来今日に至るまでの主食として私の生活に溶け込んで来た次第である。カップやきそばとの、長い付き合いの始まりである

上述の事件以来はまりにはまり、ひたすら昼食にカップやきそばを取り続けたりしてみたが、その結果色々見えてくる物があった。先ずはカップやきそばの微妙なスタンスである。そもそも「カップやきそば」というネーミングにも関わらずやきそばでは無い。焼いてない。お湯で調理するので当たり前だ。何考えてんだ。この思考の流れは誰しもが感じる物であると思う。ならいっその事「カップ緬」という名前にしたらどうだろうか、とも思う。しかしそこには「カップラーメン」の存在が大きく立ちはだかる。カップ緬とは一般的にカップラーメンを指す物であり、その圧倒的シェアから名前の統一はすなわちカップやきそば業界の崩壊に直結する。つまりカップやきそばは焼いていないにも関わらずやきそばを謳い、お湯で調理するのにカップラーメンとの差別化を図らねばならないというギリギリの所で成り立っている。カップやきそばとは現世と幽界の境界を彷徨う踠く者なのである。「カップやきそば=ガッツ」「やきそば=グリフィス」「カップラーメン=ベヘリット」という事である。我ながら最低の例えだと思うので、どうぞ無視して欲しい。とにかく両者の板ばさみに合っている中間管理職の様なカップやきそばの境遇を先ずは念頭に置かれたい

上述の不利な立場からの巻き返し、つまりカップやきそば史の発展を語る上で最も重要なファクターとして「俺の塩」を挙げねばならない。カップやきそば黎明期において、数々の商品が開発され、そして闇の彼方に消えていった。そのどれもが基本的には「ペヤングソースやきそば」の模倣を脱せず、黎明期は同時に迷走の時代であった様にも思える。たまに開発される色物に至っては口にするのも憚られる出来栄えで、特にどこかのメーカが出した「イカやきそば」においては蓋を開けた瞬間からイカ臭いという下ネタの最底辺を見事に走り退ける出来栄えであった。笑いの着眼点が同じく底辺にあった当時の私と友人は揃って爆笑。「ガハハハハ!くせぇ!イカくせぇ!」「マジで!?…………!イヒヒヒヒヒヒ!イカくせぇー!」。比較してみると底辺なのは明らかにこちらサイドである事が見て取れるが、とにかくその様な混沌とした時代に颯爽と現れたのが「俺の塩」である。程よく抑えられた塩味に固めの麺、前に出過ぎない具。俺の塩は確かにカップやきそば界を震撼させうる実力であった。私の周りでも大絶賛で、私が食べているのを見つけるや「一口くれ」とハイエナの表情で半分以上を持っていかれる事もしばしばであり、友人間で何と無しに出来上がった上下関係に深く頷いた物である。二つ目のピリオドである

かくしてカップやきそばはカップラーメンと双肩を並べるに至った。ここからはカップやきそばの調理法について触れたいと思う。といっても調理法はインスタントの名に恥じない単純さで、お湯を入れる、待つ、捨てるの3点である。味付けや麺の固さは好みに寄る所が大きいので、ここでは話を一本に絞ろう。要するに、青ノリを入れるか否かである。青ノリは歌になる程その公害振りは有名である。年頃の高校生にとって、これは重大な問題点ではなかろうか?そもそも青ノリを入れる意味は何なのだろう。青ノリ自身に味は無いため、求められるのは視覚的要素が殆どであろう。そして皮肉な事に、視覚的要素を重視するがゆえ、被害は拡大する。それゆえ青ノリは敬遠されがちだが、ちょっと待って欲しい。私のバイブルである「美味しんぼ」という漫画において、次のような一文がある。――食べ方とか作法にとらわれてはいけない――。これは39巻、「ビワの呪い」に掲載された物である。「先祖がビワの上手な食べ方を披露出来ず、結果自殺をしてしまって以来ビワは敵である」という、連載中期以降の迷走具合を顕著に示したこの話において、主人公の山岡が出した結論は以下の通りである

「良く熟れていると皮がつるつるむける。むいているうちに甘いつゆが溢れて指にたれてくる。」
「もったいないからなめちゃう。(ぺろぺろ)
「この表面が果汁で濡れている。美しい。こんなにきれいなものはこうしてやる(しゃくじゅる)」
「実は種が大きくて、果肉が薄いから、こうして歯でこそげるように食べる。これが楽しい(じゅるじゅば)」

ほとんどクンニである。およそ食文化を語る漫画とは思えないこの描写ではあるが、今にも「その意や良し」と深く頷かんとしている海原雄山氏の表情をしてこの行動には説得力がある。そして続く先ほどの一文。つまり我々に必要なのは型に囚われない、自由な心だったのだ。青ノリを前歯に付けても良いんだ。むしろ見せてやれと、陶人先生は言いたいのだ。私がひそかに思いを寄せていたバイト先の子に「腰痛さん、歯」と本当に一言だけ注意された事はむしろ誇るべき事なのだ。あれは三つ目のピリオドなんかじゃあ無かったんだ。きへー、言うな言うな、みなまで言うな。ちなみにその一週間後に発覚したその子とマネージャとの交際を知った時、人生にピリオドを打ちそうになったのも今では良い思い出である

以上が私のカップやきそばに対する熱い思いである。どちらかと言うと私:腰痛の人生に対する諦めの方が強く滲み出てしまった事を、読者の皆様、そして何より両親に深くお詫びしたい。ありがとうございました


 

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