|
時間というものは残酷なもので、あっという間にサラリサラリと流れ流れていった。人々が新たな気持ちで迎え入れる春、開放的になり、あんなにも淡い恋をした夏、街はゆっくりと赤く染まり、黄昏と共にウイスキーに涙を浮かべた秋、そして今年も冬がやってくる。驚くべきはこの時間の流れ。つい最近まで「夏マジ終われよ、暑いよバカ!」と声を荒げていたのに、どうしてこんなに空気は澄んで、おまけに寒くて、風邪も引いた。いつの間に、俺の知らぬ間に、冬はこっそりと背後に立ちすくんでいたのか。普通の考えであれば、今年ももう終わりか、なんて言って季節の移ろいなんてスルーだが、俺にはそれが出来ない。なぜなら、この一年、俺は何も変わっていない。時間は自分勝手に移り変わって、季節を様々に変え、時代さえも変えたが、俺は何が変わった。何も変わっていない。何も変わらない。そんな、いつまでも愛される「ジンギスカンのたれ」みたいなキャッチコピーはもう要らない。
何かしら変わったはずであろうと考え抜いた結果、一つあげるとすれば体重である。言っても俺はまだまだ成長期であると信じて止まないので、モリモリ食べて、すやすや寝て、インターネットを楽しんで、また食って寝る、というのを繰り返してきた。すると変わったのである。いや、そう言うよりは、成長したと言ったほうが正しいと信じている。体重は一年前に比べて10kg増えた。体重に比例して成長しているであろう身長のほうはというと、まるで、一年前から変わっていない。どういうことだとしばらくの間は考えたが、次の瞬間には午後の紅茶(ミルクティー)をがぶ飲みしていた。これか! つまるところ、この紅茶と銘打っておきながら考えられないくらい糖分に侵されてしまった俺の大好きな飲み物が結果として仇となったというのか! 要するに太った。見事なまでに変わった。しかも、マイナス方面に。元々が元々なだけに、これ以上体重を増やされても困ってしまうというものだブー。た、大変だ! ついに語尾がデブ語になり始めた! 糖分に侵されてしまっていたのは午後の紅茶なんかではない、俺自身だったのだ。いくら変わりたいと言ったからと言って、太るだなんて、神様、これは酷すぎる仕打ちなんじゃありませんか…。
それが今年の6月のことだった。非常に不愉快な出来事で、由々しき事態だと思った俺は、すぐさま体重を元に戻そうと張り切った。ただでさえモテないこの俺になんたる不幸。これ以上モテない要素を入れたところで俺は何になる。きっと魔法使いに一歩近づくだけだ。この間なんて友達に言われちゃったよ。お前が童貞捨てるのいつだろうな、なんて言いやがるんだよ。友達と表記したのを撤回させて頂く。奴はとんだゲス野郎だ。駅のホームで立ちグソでも漏らしてしまえばいいと思う。もういっそ、魔法使っちゃおうと思うくらいだ。メラゾーマ!(燃え尽きるゲス野郎)
6月以来、俺は体重を減らそうと頑張った。いわゆるダイエットをした。来る日も来る日もモリモリ食べて(無理な断食は体に悪い)、すやすや寝て(睡眠を取らなくては体の調子が狂う)、インターネットを楽しんで(やらなければストレスが溜まりダイエットどころではなくなる)、また食って寝た。そう、俺は6月以来、何をするでなし、理由を付けて食事の量は減らさなかったし、睡眠も取ったし昼寝もしたし、インターネットもした。運動らしきことは見ての通り、何一つとしてしていない。これで体重を落とすなんてふざけているとしか思えないだろうが、当時の俺は何の疑いもなくこれが最先端のダイエットだと言い張った。今ではどうだ。言い張った結果がこれだ。腹も徐々に張ってきた。笑い事じゃない。時は確実に満ちつつある。助けてくれ!
誰にも俺の助けを求める声は届かなかったようなので、俺は俺を騙すことなく生きていくべくして、ついにダイエットに取り掛かろうと考えた。深夜の通販番組でやっている、腰に巻きつけたものがブルブルと震えて、あっという間に腹筋ムキムキというマシーンの購入も辞さない覚悟だったが、あんなものでどうにかなるのであれば、世の中にはスリムな人以外いなくなるのではないか。あんなものには頼らない。ていうか欲しかったけど財布には硬いお金しかなかったんだよね。お札なんてあった試しがない。やはり器具に頼ろうとする時点で間違いだと気付くべきなのである。俺はいち早く気が付いた。やはり時代は有酸素運動。ウォーキングにマラソンだ。即ち走り回れば良いのだ。金はかからないし、体重は減るし、宝くじは当たるし、女にモテるわで大変です。みんなもやろう有酸素運動。
そこですぐにこの俺が有酸素運動を始めるかといえば始めるわけがない。グラマラスボディの女性よろしく「ダイエットは明日から! それじゃあケーキをモッシャモッシャ〜!!」というような精神状態になり果てた俺は、ゆっくりと、だが確実に、麗しのマイ・パーソナル・コンピューターの電源に手を掛けた。かわいらしい俺のパソコンは「ようこそ」なんて表示して、まるでご主人様の帰りを待っていたメイドさんのようだ。ああ、なんて落ち着くんだ。感動すら覚える。それでは今日も色々なサイトを見て回り、淫靡な雰囲気溢れるエロサイトへGO! すると見てみろ! まだダウンロードしていないエロ動画がたんまりと! 自然と笑みがこぼれる。人からすれば、エロサイトを見てニヤニヤしているとんだ変態だとしか思われないだろうが、これぞ至福のひと時だ。何事にも変え難き俺の一つの生きがいなのだ。もうすでにダウンロードなんぞお手の物で、右クリックして「対象をファイルに保存」を選択。ダウンロードが始まる。待ちきれないと言わんばかりに天を突く我が分身を落ち着かせながら終わるのを待つ。ピポン! 終わった〜!! よし、それじゃあメディアプレイヤーを起動して、新しく手に入れた動画を入れて、再生だ〜!! ピューン。驚くべきはマイ・パーソナル・コンピューター。なんと再生ボタンを押した途端に電源が落ちた。よくあるよくある。全然気にしない。再起動。まいっちゃうよな〜、このおっちょこちょいさん!(パソコンをコツリ)(病気) 特に異常なし。先ほどダウンロードした動画もある。それじゃあメディアプレイヤーで再生〜! ピューン。またも電源が落ちた。どういうことだ。もしかして、エロ動画を再生したくないと俺のパソコンは嘆いているというのか。もっと私自身を見てよ、ご主人様! とでも言い出しそうなパソコンを見て、急に愛らしいと思った。手頃なUSBの穴に俺はゆっくりと挿入し、俺たちは繋がった…。そんなわけねえよ! 大体にして、いくら小さいと評判の俺のチンチンでもUSBの穴は小さくて入らねえよ! いい加減にしてくれー!!
この電源の落ち具合、それに加えて以前からパソコンに潜む何か、これらは関係がありそうだ。実は俺のパソコンでは頼んでもいないのに、突然ポップアップ広告が表示されたり、起動したときに意味不明なダイアログが出たり、デスクトップに不思議な実行ファイルが鎮座していたりと、よくわからないことが頻繁に起きていた。酷いときでは文字すら打てないほどにポップアップ広告が出て来た。意味不明なダイアログの文章は全て英語で何がなにやらだった。デスクトップに現れた実行ファイルはすごくエロスだった。それらは巷でスパイウェアと呼ばれているらしく、ウィルスとは違うもので、危険性は低いものの(危険なものもあるそうです)かなり迷惑な代物だ。とんでもなくメモリ使用量が跳ね上がっているのも、こいつらスパイウェアの仕業。きっとこの、突然電源が落ちるというのもスパイウェアの仕業に違いないと睨んだ俺はオナニーを行うべく、それらを一掃するために立ち上がった。ちなみにチンコは立ち上がりっぱなしね。
まずはスパイウェア除去ソフトなるものを使ってみた。すると、学校の一クラス分ほどのスパイウェアが検出された。思わず「ドッヒャー!」と叫んでしまったが、全てを削除しておいた。これでなんとかなったはずだ、そう思い、再起動をして安定したところをオナニーというコンボで畳み掛けることにした。しかし、起動画面のあとにすぐ出て来たのは毎度お馴染みダイアログ。どういうことだ! スパイウェア除去ソフトを使っても検出されないお前は一体何者だ! 仕方ないのでパソコン内を検索して、元から絶つことにした。ダイアログのタイトルバーを検索にかける。検索結果、0件。ルービックキューブの全面を揃えてしまうくらい時間をかけて検索した結果がこれだ。俺はパソコンにバカにされているに違いない。ここまで来ると、残された手段は、最後の手段は、そう、あれしか残っていない。OSの再インストールである。
ついに始まったOSの再インストール。初体験。間違ってハードディスクがいかれてしまったりしようものなら発狂は免れない。こんなに慎重なのはいつ以来かな…。尿検査のとき、尿を紙コップに入れてるとき以来かな…。マジ紙コップ小さすぎね。溢れることこの上なかった。ただ、難易度としては尿検査時に紙コップに尿を入れるときのほうが格段に上。落ち着いてやれば問題ないはずだ。しかしまあ尿検査っていうのはどうにかならないものか。朝一番の濃厚なものを水に流してすっきりしたいというのに、それをお前、紙コップにしろだなんて、すでに陵辱の域。しかもそれを提出しろだなんて、狂ってるとしか思えない。どうする、あのかわいい娘の尿が裏で莫大の金額で売買されていたら。オークションとか開催されてたらどうする。まあ入札だけどね。ハンマープライスだけどね。
尿のことで頭がいっぱいになりながらも作業は進んでいき、いよいよハードディスクの初期化作業に移った。そのころ、外は曇り始め、雨も降り出すのではないか、そんな雲行きだった。パーセンテージで表示される作業状況。それを見ているだけでは何か手持ち無沙汰なので、ベッドに寝転がり、「最強伝説黒沢」を読み始めた。かなり時間が経ったというのに、まだ半分も進んでないようで、黒沢もすでに読み終わるというとき、雨が降り出した。空の色は言うならば「この世の終わり」とも形容できるもので、気分まで自然と沈むようだった。何か、嫌な、予感が、する。
すでに漫画どころではなくなっていた。この雲行き、そして俺の嫌な予感、思ったとおりに進まないハードディスクの初期化作業。はっきり言って、逃げ出してしまいたい気分になっていた。よく、典型的なラブコメやドラマで見ていられないシーンやらシチュエーションがあるが、それに近いが遠いような気持ちでパソコンをチラチラと見ていた。するとパーセンテージはついに60%を超えた。もう少しだ。焦ってはならない。落ち着いていこう。
雨が強く屋根を打ち続けていた。風は不思議と、吹いていない。ディスプレイを見つめだして何分経ったろうか。86%という作業の進行具合を見て、少し安心し出したこの俺を、絶望のどん底まで案内したのは、誰でもなく、さっきから嫌な予感がしていた、あの空模様である。
雷が落ちた。
凄まじい音と共に全てが終わった。さっきまであんなに明るかった部屋が、絶望を表現した如く真っ暗になった。部屋は元より、俺自身はどうなのかというと、真っ暗になった。だが、少し経つと不思議なことにポジティブシンキングが芽生え始める。まだ大丈夫に違いない。雷くらいでパソコンが壊れてたら大変じゃないか(普通に壊れる)。いやー、久々に電撃みたいのを見たよ。もしかしてあれ、ピカチュウがやったんじゃね? ポケモンって存在するんじゃね? いやマジやっべーなそれ。写メ撮ったほうが良くね? つか、停電長すぎじゃね? このテンションで乗り切るには長すぎじゃね? もうやめたほうが良くね? とか言ってるうちに停電は終わった。雷が落ちるなんて、どれだけ山だって話だけども、俺の家なんてそんなもんだ。以前はキジみたいな鳥が庭にいたときがあったからね。あれにはびっくりした。ただ今の俺はそれすらを軽々しく越える驚きに遭遇している。ハードディスクの初期化の最中に落雷して、あげく停電したというサプライズは到底味わえないはずだ。ある種名誉。
電源は入るのだろうか。まずはそこからである。そんなレベル。ポチ。起動した! やった! それじゃあ次に表示される画面は…うおー! FUJITSUのロゴが表示されている画面だ! それじゃあさっきのようにハードディスクの初期化は出来るのだろうか…!? 出来る! 見事なまでに出来る! やった〜!! 停電なんて関係ないぜー!! 手馴れた手つきですばやく作業に移る。手には「ぴたテン」の単行本。面白い。若さゆえに買ってしまったこの漫画だけども、やっぱり何回読んでも好きなものは好きなのだった。先ほどの出来事で再確認したが、神様って居るんだよね。あの絶望的な状況からハードディスクを助けてくれたわけだからね。要するに、そうなると天使も存在する。おいおい美紗さんみたいな天使が居るとしたらかなりヤバイよ。なんていうか、こう、キュンとなる。愛、覚えていますから…。
初期化も終わり、OSの再インストールも無事終わった。ここまで順調に行くとは思わなかったが、天使が居るのだからこれも頷ける話だ。それでは、インターネットもできるようにして、必要なものをダウンロードして、かなり落ち着いた。いやいや、どうしようもないくらいに軽快な動作。俺のパソコンとはまるで思えないほどに軽々しく文章も打たされる。あっぱれとしか表現のしようがない。それにしても、何かやることがあったような、あっ、そうだオナニーだ! すっかり忘れていた。すでにこの軽快なパソコンによってすっきりしていたせいもあったのだろうが、やることはやる。それではさっきダウンロードしたエロ動画を…あれ? そうか、初期化したのだから、さっきの動画が存在しているわけない。またあのサイトに行かないとなあ。お気に入りはからっぽだった。そうか、初期化したのだから、以前のブックマークが残っているわけない。また全部登録し直さないとなあ。というところで初めて気がついた。見事に、データのバックアップを、一切、取っておいてません!! これに気付いた瞬間、マジ大爆笑ね! OS入れなおしておいて、バックアップ取ってないとかマジ下痢便でしょ(笑) ふざけるな! 笑えないよ! ああ、俺もうダメや…。ダメになってもうた…。
からっぽのパソコンで俺は今もこうしてインターネットをやったり、エロ動画を見たり、オナニーをしたりしております。それでも私は元気です。私、この街が好きです。という具合に何か、魔女の宅急便のようになってしまったが、悪いけど一つも元気じゃない。すぐさま全裸で東京タワーとか登りつめたい。いっそそのまま飛び降りてしまいたい。どうしてこんなことになってしまったのか、未だにわかりません。もう要するに俺とパソコンって、元々縁がなかったものなのかも知れないよね。とんでもない虚無感に襲われてしまったこの俺、こうなってしまえば、パソコンがどうなろうと、データが一切消えてしまおうと、どうでもいいッスよ。あ、今の「ぴたテン」の美紗さんのマネね。思わず萌えだよね。マジそれこそどうでもいいよ。
悲しい気持ちでいっぱいの俺は、当初の目標を思い出す。ダイエット。ここまでパソコンに嫌われてしまったからには、しばらくパソコンに触れなくてもいいと思い始めた。チャンスだ。今のうちに運動とかしまくれば、そりゃあもう素敵なボディになって、おまけに合コンとかでモテモテで、ああ、考えるだけでも先走り汁がドバドバ。その先走り汁が砂漠化が進む現代において大変活躍したというのはまた別の話だけども、今がとにかくチャンス。俺はやってやるぜ。そうと決まればダイエットだ。
あまり人気が多い時間帯は恥ずかしい気がするので、夜にランニングをすることにした。今までの運動不足が祟ったのか、すぐに息が切れる。こんなにも疲れるとは思わなかった。何度も途中で諦めてしまいそうになったが、それじゃあ意味がない。ここまで自分を奮い立たせて決行するに至ったというのに、それじゃあ意味がない。もう少しで終わるから頑張れと自分に言い聞かせて走り続ける。暗闇に薄っすらと灯る街灯に照らされた道をただひたすらに走り続ける。人通りの少ない道に入った。ここを抜ければ終わる。その道には一人、学校帰りと思われる制服姿の女子がいた。最後の力を振り絞って俺は走る。どんどん呼吸が激しくなっていった。すると目の前にいた、その娘と来たら、逃げるように走り出した。なんていうか、変態とかそういう類の人が来たとでも思われたんじゃないかな。自意識過剰にもほどがあるやつだぜ! なんてことは一切思わなくて、ただただ悲しくて、もう二度と外を走るなんてことはしないと誓った夜だった。またパソコンに向かう日々の幕開けだった。ああ、そんな、たくさんの出来事があった、そんな夜だった。
|
|